食育とは・・・
「生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるもの」
農林水産省ではこう定義されています。
これは、「生きることは食べること」とも言い換えることができるのではないでしょうか?
とりわけ、乳幼児期にとって丈夫な体を作るためには食事は欠かせません。
近年、「食育」という言葉が認知されるようになって、当たり前のように使われるようになりました。
でも、思うのです。
本当の食育ってなんだろう、と。
いろいろな考えの方がいらっしゃるのは百も承知です。
一方で、乳幼児の食事を考えるときに「なんでも好き嫌いなく残さず食べる」ことに注力されすぎていないかなと思うことが多々あります。
体を作る乳幼児期だからこそ、なんでもおいしく、そして楽しく食べられるようになってほしい。(←わかる!)
目安はあるから一定量食べられるといいよね!(←あれ・・・?)
よし、子どもたちは出されたものは全部食べられるようにしよう!(←どういう意味!?)
令和の時代では体罰として認められていませんがが、昭和・平成の学校あるあるネタで
「嫌いなものを食べられなくて休み時間中もずっとにらめっこしている子」(食べられるまで先生と根比べ)
や
「苦手な給食を先生の目を盗んで友だちに頼んで処理してもらう子」(子ども同士の仄暗い密約)
はその時代を経験しているみなさまならクラスに一人はいたのではないでしょうか?
それほどまでに「なんでも残さず食べる」ことは優秀さのステータスになっていたように感じます。
今では、「休み時間まで残すこと」は体罰に当たるそうです。なので今は見かけなくなったと言いますが・・・あるのかしら?
以前、幼稚園・保育園・小学校の連携会議に参加した時に、小学校の先生から
「苦手なものがある子は、それをクラス担任に伝えてもらえたら大丈夫です。
無理に食べさせることはしません。それよりも、『自分はこれが苦手だから残したい』と言えることを大切にしています。」
そう言われて、心の底からホッとしたことを覚えています。
参加している他の幼稚園・保育園では、好き嫌いなく食べる取り組みをしているところが多く、先生たちも「安心してください!うちの子たちはちゃんと食べられますから」と胸を張っておられたので内心ビクビクしていました。
実習でも、先生たちがあの手、この手で子どもたちが頑張って食べられるように促していましたし、自分の頃を思い出しても先生たちは好き嫌いにいつも向き合っておられたなぁ。。。
自分が実習生の時、どうしても野菜が食べられない子がいて先生に
「本当に食べさせた方がいいでしょうか?」と尋ねたことがあります。
その時の先生の回答が、
「ここで頑張れないと何事からも逃げる子になる。
食べ物の好き嫌いを克服することが成功体験につながるので大切です。」
というものでした。
結果、その子は先生が口に運べば食べてくれるのですが、その食材が出てくれば毎回同じことを繰り返しています。
その姿に、実習生という立場でありながら違和感を覚えてしまった筆者。
先生のおっしゃることはもっともかもしれない。
でも、好き嫌いがあるからって逃げるような子になるのかな。
生意気にもそんなことを考えてしまったのです。
一方で、担任を持たせてもらった幼児の子たちには
「食べられないものがあったら減らしに来てね」ということを伝えていました。
なのでもしかしたら、(あの人が担任すると残量が多い)と思われてしまったかもしれませんが・・・。
しかし、個人的には子どもたちにとって食事は楽しい時間にして欲しかった。
1日の中で絶対にやってくる時間を苦しい時間にしてほしくなかったのです。
大人だって、苦手なものを出されて「食べられるまで席を立たないで」と言われたら苦しいですものね。
だから、食育ってなんだろう。
そうやってつくづく考えます。
ただ、これは筆者個人の意見です!
みなさまはどうやって考えるのか、正解があるようでないからこそいろいろな考えを聞いてみたいと思います。
追伸:ちなみに、こうやって書いてあると筆者自身が好き嫌いが多い人なのかな?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、なんと何でも食べる人でした(笑)